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大の阪神ファンです
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- 2008/05/16(Fri) -
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皐月は知る人ぞ知る(ww) 大の阪神タイガースのファンなのです。
って、今年の阪神タイガース、今のところ首位を走ってるからこそ、 大声張って言ってるわけで、もしも今、最下位の座に 鎮座して動かずであれば、 多分ブログで「大の阪神ファンです」とは言わないでしょうね。 我ながら、「人間とは勝手なものだな〜と」密かに苦笑していたら、 興味深い記事に遭遇 ![]() アメリカで、こんな調査が行われたそうです。 ↓ ある大学のフットボールチームが試合に勝つた時と、負けた時で その大学の生徒たちが次の日に、どんな行動を取るか です。その結果、チームが勝った時ほど 生徒たちは自分の大学の校章をつけていることが 多かったそうです。 おまけに勝った時には「僕たちが勝った!」と言いました。 しかし負けた時には、大学の校章をつけている生徒も格段と減り、さらに 「あいつらは負けたよ」と言った。 人は、無意識に「スゴイもの」「有名なもの」「権威的なもの」と自分を関連づけて 話すことで、「だから自分もそれだけスゴイ」と思わせるわけなんだそうです。 これが人間の心理なんだって。 ![]() 心理学では「栄光浴」って言うそうな。 今夜も阪神はヤクルトに勝っておりますよぉ〜〜 ![]() んでもって、皐月は今 紛れもなく「栄光浴」つーのに浸っておりまする。 ![]() (栄光浴で洗髪もできないので、これから入浴です。お湯に浸かってきま〜す ) |
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母の日に亡き母を想う・・
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- 2008/05/12(Mon) -
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今でも毎年母の日が来ると、切なく思い出すことがある・・。
母は、皐月が高校を卒業した年に亡くなった。 その後、皐月が結婚すると同時に父は再婚した。 丁度末の弟が、中学校に入ったばかりの4月でした。 父の再婚にあたって親族で反対の声もあったけど、その時の皐月は、 継母が来てくれることで、弟のことを気にしなくても家を出られる、、、 それだけのことで、父の再婚に賛成した。 今思えば随分薄情で、自分本位だったと思う。>< その後二人の弟たちは、(皐月も)継母に随分いやな目にあうのですが、 その話はまた機会があれば書きたいと思います。 父が再婚して、九州に新婚旅行に立った晩のことです。 皐月は父たちが旅行から帰ってくるまで、実家に泊まることになった。 夜中何時ごろだったか?、熟睡している皐月の枕元に亡き母が立っていた。 そして、皐月の両肩を激しく揺さぶりながらこう叫ぶように言ったのです。 「お母ちゃんが帰って来たから、 あの人に出て行ってもらおう!」 母は何度も何度もそういって、皐月の両肩をつかんで揺さぶり続けた。 両肩を激しく揺さぶられながらも皐月は母に言っていたような。 「そやかて、今更そんなこと無理やん」 声にならない声で・・。 うなされて、めちゃ苦しかったことを覚えている。 自分の声で、ハッと布団の上に飛び起きたのですが、 母が生き返ってきた筈もなく・・・ ![]() この時の母の声が未だに、皐月の耳に焼き付いています。 「お母ちゃんが帰って来たから、あの人に出て行ってもらおう!」 父には言えなかったが、この話を弟たちにすると、 末の弟は「怖いよお〜」と震えた。 母の生前、長女の皐月はいつも叱られてばかりいました。 皐月にとっては怖〜い母でした。 母が枕元に立った時、どうして「おかあちゃん!帰ってきてくれはったんや!」と 喜んであげられなかったのか。 母の死後、悲しくてあれほど泣いていたというのに・・・ 夢の中の皐月は、「今頃帰って来はっても、遅いやん」と思っていたことを はっきり覚えている。冷たい娘でした。 ![]() 話は前後するのですが、母が入院中の時です。 夜中に母が寝巻き姿のまま、台所でお米をといでいたんです。 鮮明に覚えている夢です。 皐月にとっては 厳しい母だったけど、恋しい母です。 |
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徒然草より
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- 2008/05/10(Sat) -
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「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯にむかひて〜」。。
↑ 吉田兼好「徒然草」の序文ですね。 中学時代、暗記したのは皐月だけではないと思います。 ![]() 4,5年前、皐月は徒然草にすっぽりとはまっていたんです〜。 ![]() 今でも時々本棚から取り出してパラパラ〜とページをめくってみるのですが、 すっごく面白くて、現代に通じるものが以外と多く、魅せられる皐月であります。 皐月が印象に残っている段の一つです。 (実は、今日もブログのネタ切れなので・・・^_^;) ↓ 主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来る事なし。 主なき所には、道行人濫りに立ち入り、狐・梟やうの物も、人気に塞かれねば、 所得顔に入り棲み、木霊など云ふ、けしからぬ形も現はるゝものなり。 また、鏡には、色・像なき故に、万の影来りて映る。鏡に色・像あらましかば、映らざらまし。 虚空よく物を容る。我等が心に念々のほしきまゝに来り浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。 心に主あらましかば、胸の中に、若干の事は入り来らざらまし。 徒然草 第二百三十五段 口語訳 「人の居ない家」 「鏡と心」 主人の居る家にはなんの関係もない人が勝手に入ってくることはない。 主人が居ないところには、通行人がやたらと入り込み、きつね、ふくろうも、 人が居ないのをいいことに入ってくる。 こだまなんて奇怪な形をした樹木の霊も入ってくる。 また鏡には色や形がないから、あらゆるものの映像がうつる。 鏡に色と形があれば、なにも写らないでしょ。 なにもない空間はどんなものも入ってくる。 人間の心に色々な迷いが入り込むのは、心にしっかりした確信がないからである。 自分の心に実体があれば、そこに色々な雑念が入ってこないんだよ。 この段は、「自分の心をしっかりと持っていなければいけない」というテーマだと思います。 今と昔では、世の中の仕組みが異なるのは当然ですが、 人としての道理、真理は不変だと思いますね。 よく「心を空っぽにせよ」とか聞きますが、皐月が思うに、心を空っぽにするというのは、 自分の心を、外からの何の警戒心もなく開け放すのではないと思う。 しっかりした自己を確率したとき、初めて心を空っぽにできるのでは?? またもや支離滅裂なことを ほだいている皐月でありまする。 ![]() |

です。


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